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自作について「両義的存在:女性性と男性性」

更新日:2月18日



古来より高山には天からのエネルギーが降りてきやすいといわれている。


ある人から聞いたところによると、天から言葉を降ろしてくる役割を女性が担い、男性は女性が受け取った言葉を文字にする役割を担ってきた。しかし、次第に文字を起こす側の男性が権力を握り、現代までその流れが続いているという。また、古神道では審神者が信託を受け取り、その解釈を人々に伝えてきたことは知られているが、その傍らには必ず審神者を見守る役割がいたそうだ。


いずれにしても高い次元からの言葉を「感受する者」とそれを「観察する者」二人で一つのチームということだ。


私は自分の表現において意識と無意識の両義性に興味を持ってきたので、天からの言葉を降ろす女性とそれを見守る男性、この関係に意識と無意識とを対置して考えている。



「DRAWING(POINTED TOE)」


このシリーズは5マス×7マス、もしくは5マス×8マスのグリッドから形を出すことが多い。靴のような形をしているので「Shoe-shaped-sculpture」というシリーズ名にしているが当初は靴の形は全く意図していなかった。




はじめは富士山のような聖山が持つエネルギーに関心があり、山の形を探っていたが、途中で構造的な柱のようなものを取り込むアイデアが浮かび、次第にヒールのような形が現れたのだった。この点については線的な要素を取り込むほうがこの技法が活きるという考えもあった。それ以来、「女性性と男性性」「無意識と意識」「色彩と形」「受容と切断」といった相反する要素を古来の風習や逸話、神話の中に発見しては制作へのインスピレーションにしている。


相対するものを一口に両義的である、と括ってみても「その在り方」を取り込もうと試みることは中々簡単ではない。客観的に両者の境界のあいまいさに注目しすぎると「意識」だけが引き込まれてしまうのだ。例えば、高山はその高さに注目すれば男性的だが、富士山はすそ野の広がりが特徴でもあり、すそ野はいつの間にか大地へとつながる。とすると、富士山の高みは母なる大地の延長と見ることができる。両義的に考えようとする意識(言葉)が豊富な現実を早々に切断してしまうと無意識が置き去りになるから「両義性を持ち合わせた状態になる」ことを目指す他ない。


結局は人間そのものが得体の知れないものだってことをうまく思い出せれば、アートとはいえそこまで難しいことを意識する必要もないんだよね。




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